奄美藍とは

私たちの暮らしに寄り添う「藍染」、奄美藍の歴史について

古来より、日本人の暮らしと深い関わりを持つ藍染。その奥深い特別なブルーは、長きに渡って人々に愛され、私たちの日常に溶け込んできました。藍染の歴史と、奄美藍染研究会が復活に取り組む「琉球藍」について紹介します。

藍染の歴史

藍染の歴史をたどると、一説には人類最古の染料といわれ、古くから世界各地で利用されています。紀元前6000年頃には西アジアを中心に藍が使われていたとされ、紀元前3000年頃の染織品がトルコで発掘されています。ツタンカーメンのミイラにも、藍染の布が使用されていました。

日本には約1500年前の奈良時代に中国から朝鮮を経て、原料の植物の栽培方法や染色方法が伝えられたといわれます。藍を甕に入れて発酵させる昔ながらの技法は、現在の藍染技法のベースにもなっています。

平安時代の人々にとって藍染は大変高価なもので、宮廷や貴族が身に付ける高貴な色とされていました。奈良の法隆寺や正倉院には藍染の染織品も多く収蔵されています。

庶民の手に渡って行ったのは、木綿が広く普及されるようになった江戸時代。着物から浴衣、作業着、のれんや風呂敷、手ぬぐいなど、あらゆるものに藍染が多用されるようになりました。特に阿波(現在の徳島県)では藍の栽培が盛んで、藍商は大いに繁盛していたといいます。

明治時代に日本を訪れたイギリス人化学者、ロバート・ウィリアム・アトキンソンは、印象的な藍染の青を街のあちこちで見かけ、「ジャパンブルー」と名付けて賞賛しました。日本人にとって、藍染は誇るべき伝統文化であり、暮らしに欠かせない大切なものだったのです。

琉球藍について

奄美では古来より、山に自生する藍を使った藍染が行われていました。奄美の藍染に関する最古の記録では、文政 12 (1829)年、薩摩藩薬草奉行の命を受けた藩士、伊藤助左衛門の調査記録に琉球藍(木藍“こあい”と呼ばれていた)の記述が残っています。

私たち奄美藍染研究会が復活を目指す「琉球藍」は、キツネノマゴ科の多年草植物で、主に東南アジアに分布し、日本では沖縄の本部町でわずかに栽培されています。北限は奄美大島といわれ、1300年の歴史を誇る伝統工芸、奄美大島紬にも琉球藍染が使われていました。

日本で作られる天然藍の製品の75%は蓼藍(タデアイ)から作られており、琉球藍は残りの25%という希少な存在です。1986(昭和61)年、奄美大島の瀬戸内町にある「よしかわ工房」の吉川好弘さんが奄美の山を歩き回り加計呂麻島に自生する琉球藍を1本見つけ、それを栽培して天然の染料を作り、奄美産の藍を復活をさせて「奄美藍」として藍染をしていましたが、数年前に亡くなられ、その技術は継承されずに途絶えてしまいました。

琉球藍は、蓼藍に比べるとまだまだ分からないことも多くあまり研究が進んでいません。私たちは琉球藍について調査・研究を続け、実際に栽培、染色の実験、プロダクトの開発など、琉球藍の復活を目指して活動しています。

藍染の染色方法

藍染とは、「藍=インディゴ」の成分を含む植物を用いて染色する方法です。世界各地で作られており、日本で作られる藍染は、一般的にタデ科の蓼藍を使うのが主流。奄美・沖縄ではキツネノマゴ科の琉球藍、東南アジアではマメ科の印度藍など、地域によって原料は様々ですが、全て「インディゴ」と呼ばれる色素成分を持つ植物で染められています。

琉球藍の場合、収穫した葉を水と一緒に甕に入れて数日間かけて発酵させ、インディゴの成分を抽出した「泥藍」を作ります。泥藍はそのままでは染まらないため、インディゴを還元させることで布に染まる状態に変化させます。この工程を「藍を建てる(藍建て)」といいます。泥藍作りや藍建ては、季節や気候によっても調整が難しく、職人の手仕事による繊細な技術を必要とする作業です。

染料が準備できたら、染めたいものを染料液の中へ、ゆっくり静かに浸漬(しんせき)します。染色物を引き上げて空気に晒すと、酸素と科学反応して薄い青に染まります。これを何度か繰り返すと次第に色が濃くなっていきます。染め重ねることで、淡い水色から深い濃紺まで、様々な青に染め分けることができます。

日本の伝統色では藍を表現するために、ややくすんだごく薄い青は「水浅葱(みずあさぎ)」、少し濃くなって緑を帯びた青を「納戸(なんど)色」、さらにもっと黒に近いほどの深く濃い青は「褐色(かちいろ)」など、様々な呼び名を付けています。褐色は「勝つ色」として武士に好まれ、縁起物として愛用されていたそうです。

藍染の効能

藍には、その色の持つ美しさ以外にも、虫を寄せ付けない防虫、雑菌の増殖を抑える抗菌、汗臭さや匂いを抑える消臭、肌を守る紫外線防止などの効果があり、古くから日本人の暮らしを支えてきました。

肌の傷を癒す働きもあるとされ、鎌倉や江戸の武士たちは肌着に使っていたそうです。現在でも剣道着など武道の着物には藍染が使われています。沖縄や奄美では、なぜかハブが寄ってこない、という話もあるそうです。

薬草としての効能もあり、漢方においては琉球藍の根は、“漢方の抗生物質・抗ウイルス薬”ともいわれる「板藍根(バンランコン)」のひとつです。2003年に中国でSARSウイルスが大流行した際には、中国の衛生部が板藍根に予防の効果があると公式に認め、積極的な服用を促したそうです。WHO(世界保健機関)からもその効果が高く評価されています。

琉球藍については、蓼藍に比べるとまだまだ研究や調査が進んでおらず、わからないことがたくさんあります。私たちは、琉球大学(および沖縄TLO)の協力を得て、自分たちで染めた琉球藍布の抗菌・抗臭に関する機能性試験などを進めています。